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Essential Practicenのご案内~SATTVAで開催中

エッセンシャル=本質的なヨガの練習をするクラスです。詳しい日程などはこちらをご覧ください。
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基本に立ち返って、新しい景色を~♪ [Essential Yoga]

 私の開催するヨガクラス Essential Yogaでは、「今日何やりたいですか~」とお聞きして始めることが多いです。

 参加者のほとんどはヨガのインストラクターさん。インストラクターさんは、主にレッスンだけをやっている方と、レッスンも日々の練習も両方を大切にやっている方といらっしゃいます。
 前者はワークショップなどで得た情報をもとにすぐ教えだす人です(笑)後者は学んだことをまず練習で自分に落とし込み自分の言葉で伝えている人なので、こうゆう先生に質問をすると回答にも自らの体験を通しての裏付けがあります。
 つまり仕事としてだけではなく「ヨガのある暮らし」「ヨガの生き方」を実践している人です。私自身もそうですし、Essential Yogaに来てくださる先生もそんな方たちです。

 レッスンで人気がでるような人を引きつける言葉や、生徒に受ける美味しいアイディアを求めに来ていたイントラさんだと1度来てくださっても、とりあえずFacebookで繋がってもう来てくださらないです。ごめんなさい、そうゆうレッスンに役立つ美味しいものはEssential yogaにはありません。逆に一般のレッスンでやったら生徒がいなくなるようなことばかりかもしれませんからね(笑)

 さて、今週(3/13)はクラスの初めに「バックベントやりたい~」との声があったので、そこにフォーカスしていきました。特に最近は、呼吸の種類を丁寧に見極めるように声掛けしています。 腹式か胸式かなどの種類ではなく、呼吸でどこを動かしているかです。
 アシュタンガを力んで頑張りすぎたり、自律神経が整っていない時は、鎖骨や胸を引き上げるだけの呼吸をやりがちです。
 一見すると深い呼吸に見えますが、実はそうではありません。まず自分がどこでどんな呼吸をしているのか、肋骨の動きにフォーカスしていきます。

 次にタダーサナやウッターナサナ、プランク、アップドック、ダウンドックで上半身と下半身の繋がりを探しました。この練習にはクラスのほとんどの時間を当てています。体のクセを見つけて実に微細な、ある意味マニアックな調整を自分で行っていきます。
 足を働かせて立っているのか、身体と腕のジョイントは正しいのか、鼠径部を緩めて繋げて立っているか、脊柱の自然なアーチがあるか…などなど私のガイドをヒントに体を自ら調整します。
 上半身と下半身の繋がりが整ってくると太陽礼拝もすべてが繋がってきますし、バックベントも自然と深まってきます。

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 これらの練習は私が長く実践してきたものです。アシュタンガヨガでのバックベント、ドロップバックやカムアップはもちろん、例えばセカンドシリーズのかポタアーサナなど、最初は恐ろしくキツく難しいアーサナを5年10年と同じことを練習するなかで見えてくる景色があります。
 それらの基本は全てタダーサナやダウンドックなのです。そして、それが正いいとか間違っているの話ではなく、その一つ上の景色にたどり着くまでの道のりを「心と体」セットで経験することが、プロとして仕事をするために必要なことだと思うからです。

 Essential Yogaは、たった月に2回の練習ですが、この時間を丁寧に積み重ねることで、アーサナがみるみる変化したり、自分の中で新たな気づきを深める方もいらっしゃいます。
 皆それぞれがヨガのある暮らしを生きています。自分自身と向き合って実践しています。

 ヨガの練習が好きでなんとなく続けている主婦の方も、イントラ養成コースを出たばかりの方も、ヨガ歴10年くらいの方も、アシュタンガヨガを最近始めた方も、すでにアシュタンガヨガでサードまで練習をしている方も…それぞれの経験や背景が違っても、みんなでわいわい練習を楽しんでいます。「ヨガのある暮らし」を実践する”大人の部活"のようなものですね。

 Essential Yoga は 2014年から始まった私の個人クラスです。私が札幌を離れる予定なのであと10
ヵ月ほど、2020年1月前後に終了する予定です。
 最後まで私も練習を続けながら皆さんと楽しんでいきたいと思います。
 いつもご参加くださる皆様、貴重な時間をありがとうございます。

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Essential Yoga  3/27 4/10 4/24 5/8 5/22 6/5 6/19…


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全ては見えないのだけど [日々のいろいろ]

今朝は冷えたので、雪の結晶がとてもきれい!たくさんの粉雪が車のフロントガラスに舞い降りてきました。
それから、ほんの2.3分で、雪はいっきにころころと7ミリくらいのまん丸いアラレになり、ガラスに積もってきました。そして、それもまた2・3分で、みるみる小さなアラレになり、また粉雪へと戻りました。美しい見事な雪の変化に思わず見とれてしまいました。

この変化はいったいどうなっているのか?温度や湿度、上空の寒気、風の流れ、空気中のチリ…様々な状況があって刻一刻と変化します。計り知れないほどの要因があり、様々なことが起こり結果が返ってきます。すべては見えないのだけど、その一片を私は眺めていました。それはまさにこの「世界」そのものだなあと思いました。それがダルマ。この世界の全て。

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私たちの人生もしかり。様々な要因があって全てが見事に運ばれていきます。個人の力ではその要因を全て知ることはできない。なのに私たちは10年後、20年後の自分を予測して生きています。明日死ぬかもしれないのにね。

私たちはまさにダルマに運ばれていますね。そこにほんの少し個人として自己選択権をもっているけれど、それでも大きな流れに逆らえない。やはりダルマ運ばれながらも、その全体から一瞬一瞬から結果が返ってきます。思い通りに行くときもあれば、行かない時もあるし、全く違う結果になることもあります。

理想を掲げるのもよいけれど、まずは自分のすべき役割をやること。自分の中にある「良い悪い」のセンスを大切にして自分に嘘をつかないこと。そして目の前の出来事に「好き嫌い」の感情で飲み込まれないようにすること。いつも全体、ダルマを想える客観的な視点をを忘れないこと。

これができると、自分が生かされていること運ばれていることに、深い感謝が生まれてきます。そこにイーシュワラ(神)が見えるのですね。日本人なら多くの人が持っている感覚かもしれません。だけど「いつも」ではないのですよね。すぐ忘れて、個人の思い通りにならないとワタワタしちゃいます。でもそのイーシュワラをいつも想える生き方を「ヨーガ」というのです。ヨーガを生きる人は感謝や祈りが人生に加わります。

人は成熟していくと自然と「ヨーガ」の生き方を求めますよね。体を動かすヨガをしなくても、ちょっと瞑想に興味をもったり、自分の人生を俯瞰したり。年を取るってそうゆうことですかね。
人は誰でも、本当はヨーガの生き方を求めて生きているのですよね。

今朝、アシュタンガヨガの朝練に向かう車の中で、雪を見てダルマを想いました。いま辛い人も、上手くいかない人も、みーんな運ばれています。だから何年か後で「あれはいい経験だった」ときっと思えるんです。みんなそうです。

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共通テーマ:日記・雑感

ポットは土だけれど… [ヨーガについての知識]

「ポットは土だけど、土はポットじゃない。」なんのこっちゃ…

私がこの見方を初めて聞いたのは、スワミジからでした。忘れもしない2012年のGW。
いやもちろん、最初は全く意味がわからず「なんのこっちゃ」と(笑)

ポットというのは素焼きの小さな壺のことなんですが、レンガのように土を成型して焼かれたものです。まさに100%土でできた素焼きのポット。

それは100%土なので、粉々に壊せばただの土になります。それなら、ポットって言っていましたが本当にそこにあるのは、ポットじゃなくて単なる土じゃないですか…?

ポットは存在していたのですか? ええ、確かにありました。

では「ポットがある」とき、どうしてそれを「土がある」って言わないのでしょうか。

「ポットらしい形や性質」など、何か”質”や”…らしさ”を装ったとき、その本質は見えなくなってしまうからです。

たとえば、私たちは「花がある」といいますが、花って花びらが集まったものです。

そこにあるのは単なる花びらの集まりですが、「花らしさ」を装っているので、私たちは「花がある」と言います。「花びらがある」とは言わないのです。

「らしさ」はその本質を隠してしまいます。



この見方が「いまこの瞬間の私に起こっている!」なんて全く意味がわかりませんでした。

私たちの本質は「体」「感情」「役割」「気分」…いろいろな「らしさ」を伴っているので、まるで隠れてしまっていますが、「いまここにある!」それが「あたな」なのですよ。

ヨガの先生ならインストラクター養成中に「コーシャ」を学びますね。パンチャコーシャ=5つの鞘。この意味を深めるのにも、とても大事な見方なのです。

ヴェーダンタを学びに来たヨガの先生たちは、みなさん言います。今まで「コーシャ」って何のことかさっぱり意味がわからかったです…ってね。このあたりがヨガの学びの入り口になります。

↓こちらヴェーダンタで使うポットです。
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いま、まさに、「私にここで起こっている!」それはどんなことなのか。

2月の札幌ヴェーダンタ勉強会では、このあたりの話をしながら、皆さんとシェアできる時間になれば良いな…と思います。

パラヴィデヤケンドラム グループスタディでは朝6時から2月14日15日に担当させていただきます。

こちらはタットヴァボーダの15番目、16番目あたりの詩を使いますが、まだタットヴァボーダを勉強してない方も気軽にご参加ください。
https://vedanta.exblog.jp/27301700/



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与えられたことを。 [日々のいろいろ]

新しい年の半月が過ぎました。

年が明けてから東京へ行き、パパさん宅の大掃除をしながら東京でちょこっと休日を過ごしました。

札幌に戻りヨガのお仕事の合間に9日間のタットヴァボーダという聖典を学ぶクラスをzoomで受講させていただきました…あっという間に1月の半分が過ぎてました。早いですね。

今年もみなさまどうぞよろしくお願いいたします。



新しい年を迎えると「今年はこんな年に…こんな自分に…」と思いを巡らす方も多いかもしれません。

若いころの願望にはさまざまな幻想が含まれているものです。「立派な人になろう」「何かを達成させよう」「重要な人物になろう」「認めれれる人物になろう」

ちょっと年を重ねた私たちはヨガの生き方の中で感じるものがあります。「なんだか自分は運ばれているなあ」「自分にはこれが必要なんだなあ」

理想の自分を追い求める生き方から、ヨガの学びの中で価値構造が整ってきて(もちろんある種の知識と理解が必要なんですが)だんだん必要ない願望を手放せるようになります。

「好き・嫌い」「損・徳」を基準に選ぶことから、「与えられたこと」「必要なこと」に自然と向き合うことができるようになりますね。

年齢を重ねるのも悪くないものです(笑)



告白しますと…

私は毎朝6~7時までzoomでチェータナナンダ先生の講義を聞いていますが、2か月ほど先生がインドに行かれるので、しばらく朝寝坊ができる~と渡印を心待ちにしておりました…(笑)

そうしましたら、講義がお休みの間グループスタディを開催するので、少し担当しませんかと先生からご連絡をいただきました。

担当は2日間なのですが、やはりそのためには準備もしなければならないし…と思うと実は最初、ちょっと気が重かったのです。

でも最近つくづく思います。声をかけてもらったという事は「自分に必要な経験なんだろうなあ」と。

1週間ほどモヤモヤしたんですが(笑)お引き受けさせていただきました。モヤモヤしたのは自信がないからです。でも上手くいかなくても、その失敗の経験ですら必要なことなんだろうなあと、今は心から思えるのです。



若い頃のように幻想を含んだ願望を持つと「自分をコントロールしながら生きる」とう辛さを伴います。
歳を重ねて、これを手放せるとき、私は私にリラックスします。


全体の中で生かされていることへの感謝があります。

できればどんな時もどんな瞬間も、そうありたい!と願っています。


ヴェーダンタを学んできたこの6年間、サボったりお休みしたりすると、いつも戻されるんです。そして毎回「戻されて良かったなあ」と心から思っています。



※グループスタディはダクシナ制でどなたでも参加できます。ご興味あればパラヴィデャーケンドラムHP~こちらからどうそ
以前札幌に来てくれた谷戸くんもチャンティングのクラスをやりますよ。

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〇Essential Yoga 水曜10:30~@SATTVA
 2019/ 1月16.30 2月13.27 3月13.27… 

〇Vedanta class 日曜15:30~@SATTVA 
 2019/ 1月27日 2月17日 3月17日…







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本質的な視点を [yogaクラス]

単に「立つ」姿勢のことを、ヨガのポーズでは「タダアーサナ」といいます。

見かけはまさに立っているだけ…でも、それは実に奥深いものです。

月に2回やっている私のヨガクラス「Essenntial Practice」はその名の通り、エッセンシャル=本質的な練習をするクラスです。

クラスの前半はじっくりと体と向き合い、私の言葉のガイドを頼りに、ただ「立つ」ことをします。

もちろん「普遍的な体の使い方」みたいなものが存在するわけですが、まず感じるのは、自分のクセを手放していくことの難しさだと思います。

体のクセは心のクセでもあり、何十年も繰り返してきた自分の歴史が体に現れています。

「心が硬い人は体も硬い」とか「心が開いていないと胸が開かない(後屈が苦手)」などなど、過去にこんな言葉を聞いてきました。

体が硬い私には「ぐさっ」と刺さる言葉です。

ヨガをアーサナ(ポーズ)だけでとらえていると、そんな言葉の表現になってしまうのは残念です。体の硬い人がみんながみんな、そういうわけでもないのですから。

紀元前から途絶えることなく続くヨガの智恵って、そんなちっぽけな知識や視点ではないはずです。
私たちはヨガを通して何に気づいていけばよいのでしょうか。





私たちは生まれた環境、与えられた環境というものが確かにあります。

自分の好きな道を生きてきた!といっても、生まれた環境は与えられたもの。

試練のような辛さや忙しさ、心の苦しさを避けられない時もあります。

体の硬さは人生で頑張った「勲章」みたいなもの。その過去から真実をみいだせば、自分自身の深い部分と繋がることができます。

毎日いろんなことがありました。自分にとって好ましいこと、好ましくないこと。上手くこなせる事もあれば、どうしても避けられない事もありました。

個人の視点でとらえると「辛いこと」でも、それってただ単に「起こっていた」のです。

すごく雑な言い方なのですが、この世界ってそうゆうものです。晴れの日があれば嵐の日もある。

「あるがまま」なんです。「この世界は全てあるがままに起こっている」ということ。つまりそれは「自然」「全体」みたいなもの。

その客観的な視点をもつことは、とてもとても大事だと思います。

つまり「あるがまま」を「あるがまま」に見るという視点。

自分で自分を苦しめなくて済みます。




でも、私たちは目の前の仕事や役割に追われて、考えや感情に飲み込まれていることが多いのです。

そんな時は、無意識に体に力が入っています。呼吸が浅くなり、肩や首のあたりで呼吸をしています。

ちょっとだけ、意識的に客観的な視点を持ってみる。

まるで宇宙から地球を眺めるように…自分を含めた「人間」の営みを想ったり、人生の流れを想ったり…その視点に立つと、目の前の人が許せたり、目の前の問題が少し小さく思えたりします。

そしてリラックスして深い呼吸をしましょう。

呼吸だけじゃだめなんです。呼吸プラス客観的な視点。

そうやって、自分の視点を「個人」から「大きなもの」にゆだねてみる。

これは瞑想の始まりです。

ヨガの瞑想はリラックスして考えを止めることではないのです。

瞑想は自分を超えた「大きなもの」を意識的に想う、気づいていくこと。

自然やご先祖さまに感謝する気持ちだったり、毎日の日常に感謝する思いだったり、家族や周りの人を想う気持ちだったり、何か計り知れない力に祈る想いだったり…その視点と繋がること。

アーサナヨガだって、動く瞑想のように、日常の思考から離れて、呼吸を通して体を通して、その視点に気づく道具になります。




体が硬くなったのも仕方がないのです。でも客観的な視点から生きることの本質に気づいていくと、心も体も少しずつ楽になります。

私たちはいわゆる世間の「勝ち」や「成功」を得るために生きているのではないのです。

たとえ上手くいかないことがあっても、私自身の価値が下がるわけではない。

あるがままのこの世界に私たちがどう存在しているのか、その本質に気づいていくことが「生きる」目的なんです。

「ヨガという生き方」はそれを教えています。

そこに気づきながら、この世界をもっと楽しめばいい。

「自分が在る」って嬉しいじゃない。「在る」から全てこの世界が始まっているのです。

「家族が在る」「仲間が在る」「世界がある」「成功がある」「失敗がある」「感動がある」「怒りがある」

客観的な視点でながめると、今まで気づかなかったことに、ゆっくり気がついたりします。「この世界が美しいな~」「人が愛おしいな~」って、もっともっと感じる時が来るかもしれません。

自分を縛っていた考えのクセ、体のクセからもっと開放されるかもしれません。
いつものヨガのポーズなのに、そのさらなる奥深さに気づくかもしれません。


「ああ、体ってこんな風に動くんだ。こんな風に広がるんだ。自分ってこんなに心地いいんだ」って気づくかもしれません。

ヨガを通して自分を超えた「大きなもの」と繋がること。そして客観的に「あるがまま」の自分を知ること、感じること。

「タダアーサナ」という単に立つポーズをしながら、自分がここに「在る」ことを感じていただけたら嬉しいです。

もちろんEssential Practiceでは、ほかのアーサナもたくさんやりますよ~
ヨガを深めたい方はどうぞご参加ください~(^^♪

☆Essential Practice 水曜10:30~12:00 @SATTVAスタジオ
2018年 12/5、12/19、 2019年 1/16、1/30、2/13、2/27、3/13、3/1


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↑意識的に立つ姿勢は実に美しいものです。



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2018年「ヨガとは何か?」講座のお知らせ [お知らせ]

「ヨガとは何か?~ヴェーダンタのエッセンスを学ぶ講座」を開催します。

私たちが日ごろ親しんでいるヨガとは、いったい何なのでしょうか?
シャバーサナのあと、私が満たされている感覚。それは私に何が起こっているのでしょうか?
毎日の出来事や辛かった経験が、時間の経過とともに「これは何か必要があって起こっている…」と思える感覚は何なのでしょうか?

ヨガを通して私たちが漠然と感じることを、ヴェーダの知識体は言葉というシャブダ(道具)を使って伝えます。単に考えに良い考えを上乗せする「哲学」ではなく、ヨガの哲学が存在するその源の世界観を学びます。それは個人の経験や考えではなく、紀元前から教えが続くヴェーダの結論「ヴェーダンタ」を学ぶということです。

まずは3回の講座でじっくりと耳を傾けてください。ヴェーダという知識体はヨガの源です。
その結論ヴェーダンンタを学ぶことは「私とは何か」を知る手がかりになります。
知識によって「私が私にリラックスできる」そんな座学の講座です。

▷日時 10/14. 10/28. 11/11. 日曜15:00~18:00 全3回
▷場所 SATTVAスタジオ
▷お申込み hiromimurakoshi☆☆☆gmail.com (☆☆☆を@に変えてください)

この講座は今年で4年目になります。
ヨガのインストラクターやそれ以外の方でもご参加いただけます。
10月3日現在10名ほどのお申込みがあります。あと2・3人くらい大丈夫です。

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万引き家族 [日々のいろいろ]

先日、映画「万引き家族」を見てきました。

内容はもちろん、貧困の現場や俳優さんの演技力にも(!!)いろんな意味で圧倒される2時間でした。

私が気になったのは、大人と一緒に得意げに万引きをしている少年が、ある時から少し犯罪に気づくというあたりでした。



人間は誰でも「悪いことをしたくない」という感覚をもっています。人を傷つけるのは嫌だし、うそをつくのも嫌だし、同じように自分がされても嫌なのです。

ヨーガの言葉を使うと「サーマニアダルマ」といいます。人種や国籍に限らず、誰もが持つ普遍的な良い悪いの感覚とも言えます。

だれでも子供のころは、小さな嘘をつくだけでも、心の中がモヤモヤしたはずです。しっかりとサーマニアダルマを感じていたのでしょうね。でも大人になるとそれはだんだんマヒして…、例えば赤信号でも道を渡ってしまったりしちゃいます(笑)

実際に私も、我が子に「ママ、信号守らないとだめだよ~」と言われ、ドキっとしたこともありました。「ルールを守る」ことは誰でも気持ちがよいことを子供はちゃんと知っています。

大人は無意識に、この普遍的な良い悪いの感覚よりも、自分の都合を優先して物事を判断しているのでしょうね。



映画の中では、大人は自信たっぷりに万引きをしていますが、実際の心の中はどうなんでしょうね。悪いことをしているモヤモヤした気持ちを無視しているのでしょうか。それとも信号無視と同じで感覚がマヒしているのでしょうか。

映画では、万引きを通して心のモヤモヤに気づいた少年を見ていると、私までドキドキしてきました。
少年はその後、どんな行動をとるのでしょうか・・・ストーリーはこのあたりが軸になっています。気になる方はご覧になってくださいね~。



私たちはいつでも安心を求めています。なのに自分の心のモヤモヤを無視して、自分に嘘をついていたら、自分を好きになれません。自分を受け入れることができなくなります。私たちは100%自分自身に安心したいのです。

でも貧困の環境でそれは簡単なことではないのかもしれません。
安心を得るために寄り添い、支えあい、時には悪いこともして、お互いの痛みを共感しあって生きている姿に、人間という存在がなんだかいとおしく思える、私にとってそんな映画でした。


〇私の開催するクラスの日程はこちらです~よろしくお願いします。

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願望は手放さないで! [ヨーガについての知識]

何かを手に入れたり、自分の人生で自己実現したり、そんな願望をもったらいけないの?と勘違いをする人がいます。

ヨガの哲学なんかに触れると、そんな風に聞こえるのかもしれません。とんでもない!人間は願望がないと生きれらないのです。

想像してみてください。もし朝起きてなんの願望も予定もなかったら…私ならお腹がすくまでずーっとお布団でゴロゴロしてます(笑)

今日いちにち良い仕事をしよう、楽しい日にしよう、そんな願望があるから、朝起きて歯を磨き、身支度を整えるのです。お金がないと生きていけないから、仕事に行って稼ぐのです。

この世界から人々の願望がなくなったら…社会が回りません。経済活動もストップです。

大事なことは、仕事やお金や名声、資格や技術、そして健康を手に入れようと、そんな願望目指して頑張っても、それらが自分を幸せにしてくれるものではないと気づくことです。

いやもちろん!それらがあっても幸せになれるので、手放す必要はないのですよ(笑)

ただ、願望をかなえることだけが、自分自身を幸せにしてくれるわけではないのです。

それが何かが「あって」幸せというのなら、逆の見方をすると「自分は幸せな人ではない」という事ですもの。幸せじゃない私に何かを足して幸せというのでは、幸せは決してかないません。だってその何かは、いつかあなたから離れていきますから。

だから、その願望が本当に必要なことなのか、見極めることも大切なことですね。

例えばいったん名声を手に入れても、やがて時代とともにブームが去ることがあるのです。「名声があって幸せ」なのであれば、また名声を求めて、あれやこれやと駆け引きの生き方が始まるのです。名声がなくても幸せなのであれば、それを失っても幸せのままです。

お金も、仕事も、健康も、すべてがそうです。自分の外側はいつも変化します。それを手に入れることに幸せの意味をおくと、様々な願望を求めて一生頑張らないといけないのです。


この世界を二つに分けると、まず「自分」があります。そして「自分以外のもの」の二つ。
自分以外のもの、名声やお金や健康で幸せが得られないと気づいたなら、探求するのはもう一つのほう「自分」です。

だからと言って、「自分を変えよう」とか「こう考えよう」とか哲学や自己啓発の学びでは何の解決にもなりません。これだって同じ、「自分を変えて」幸せなのであれば、そもそも自分は幸せじゃないという事になります。

幸せじゃない自分に、あんな生き方、こんな考え、自分に与えられた生きがいとは役割とは…、瞑想だ、アーサナヨガだ、呼吸法だ…、アーユルヴェーダだ…、自分を変えたり、考えを変えたりしようという願望なら、結局は同じなのです。
もちろんアーサナヨガも瞑想もその他も、とても良い体験ですよ。
でも、たとえ瞑想やシャバーサナでどんなにシャンティな自分を得て幸せだと思っても、それは移り変わる体験なのです。哲学の講座でより良い考えを重ねても、その時は「おお~!」と思えるのですが、それも一つの体験なのです。その場の雰囲気に共感してシャンティな自分を体験しているだけなのです。 なので、もしその後に家に帰って、家に泥棒が入っていたら?通帳残高が0円になっていたら?すぐにシャンティな体験は吹っ飛ぶはずです。 まず人間にとって、一番いい願望は、「自分は何かによって幸せになるわけじゃない」ということに気づいてゆくことだと思います。 私はアーサナヨガ(アシュタンガヨガ)をもう8年以上しています。これももちろん願望があるからこそ、日々汗だくの朝練を楽しめるのです。 アシュタンガを始めた最初のころの願望は「それがあって幸せ」という願望だったのは確かです。できないことをできるようになりたい!そう思って練習していました。でもその願望が私のエゴとなって、体に無理をしケガをしちゃったり・・・。そこから学ぶのです。「自分にとって大切なものは何か」すると願望が変わってくるのです。 今のアシュタンガの練習は、自分の本質に触れる素晴らしい体験の一つです。私の中のエゴ、無意識に考える「あーしたい、こーしたい」という考えのクセ、自分を人と比較する考えのクセ。そんなマインドの働きがあると、練習にブレや体の力みが生じてうまくいきません。練習を通して、それらを手放した状態を保つことこそが今のアシュタンガヨガに対するの願望です。その心の状態はあるがままに感謝して生きる視点を私に与えてくれるからです。
もちろん体を扱うヨガを指導する仕事ですから、自分の体を探求することは仕事の上でも大切なことです。

幸せは、何かを手に入れることでも、自分を変えることでもありません。 まず、あるがままの自分を受け入れられない、自分の見方や考えのクセを手放すこと。 つまり「あなたには何の問題もないのです。あなたはすでに完璧です。一番の問題はあなたがそのことを知らないという事です」ということを知ること。それを解き明かすのがヴェーダンタの学びです。 「自分を変えること」から「変わらなくてもいい自分」を知るとき、人生で何が大切か、願望の種類が変わってきます。 そこに気づいたとき本当の意味で「ヨーガという生き方・学び」が始まるのです。 それは現在の生活スタイルも生き方も変えずに、お金や名声もいっさい手放さずに、 人生で「私が私にくつろげる」のです♡ IMG_3489.JPG

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人生いろいろ。ヨガの先生もいろいろ。 [ヨーガについての知識]

最近ちょこっと時間があるとき、人の集まりなどに参加しています。

いろんな人やヨガの先生に出会う時間は楽しいものです。

私も含め、みんな一生懸命生きていています。

世の中いろんな職業がありますが、ヨガの先生というお仕事は、生きることとリンクする素晴らしい職業です。

でもその意味がクリアに見えてこないと、ほかの仕事と何ら変わりはありません。

より多くのレッスンを手に入れて、より人気の先生になって、日々頑張って、忙しく充実した自分でないと満足できなくなります。

仕事でもなんでも、それが「成功して幸せ」「充実して幸せ」なのであれば、仕事は苦しみを生む道具になります。

だって、世界の全員が、いわゆる「成功」を手にすることは不可能ですから。成功があるってことは他のだれかが不成功を担ってくれているわけです。

うまくいく人行かない人。それ以前に、恵まれた環境の人、貧しい環境の人。生まれながら病気の人、早く肉体を手放す人(死ぬ人)・・・そもそも人は実に様々な状況なのです。

その「あるがまま」こそがこの世界です。

そして、私たちは「個人」を装っているけれど、「全体」なのです!!

ヨガをする人なら、それが少し見えているはずです。全体の中に生かされている自分に気づいているはずです。それはとても大切なことだと思います。

この客観的視点があるからこそ、自分の人生が計り知れない力に運ばれていると思えたり、人生の悪い状況ですら、時間がたてばいい経験だったと消化できるのです。

でもやっぱり人は、うまくいかないことにイラっとしたり、ひどく落ち込んだりするのです。なぜでしょう。それは「個人」という力強い感覚が、「全体」という真実を見えなくするからです。

その真実を見えなくするものが「無知」というものです。個人とは無知なのです。

たとえその無知を取り除いても、個人のセンスは残りますから、個人の役割をこなしながら「全体」という真実の気づきをもってこの世界を安心して楽しめます。私たちはそこに近づくためにこの世界に存在しているようです。

ヨガのお仕事は、ヨガという生き方を通して、自らもそれに気づいていくのだと思います。

仕事がうまくいって幸せなのではなく、自分自身の本質に目を向けると、仕事のストレスも減って楽になりますね。幸せは自分の外側の状況で叶えるものではないのです。

そして、生徒さんにシャバーサナで「あるがままの自分に満足し安心できている」ことに気づかせてあげるのも、アーサナヨガの大切な要素の一つです。

それは無意識に私を縛りつける「個人」という感覚がちょっと薄れる、それはそれは素敵は体験なのです。無意識ながらに「全体」と繋がって安心しているからです。

だれでも自分自身の安心を求めています。「全体」に気づくと「安心」がふえます。哲学を教えるのではなく、真実を一つの体験(安心)として伝えるのです。

だからまず、ヨガを伝える自分がそこに気づかないとね。自分のために繰り返す日々の練習や瞑想もその道具になります。それはとてもとても大切な時間だと思います。

そしてついに「じゃあ自分っていったい何なんだ?」というところに行き着いたら、いよいよ「ヴェーダンタ」(ヴェーダの知識の結論)に進めるわけです。学びはまだまだ続きます(笑)

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ヨガの探究 [思うこと]

4月です。娘の春休みが終わり、やっと新年度がきたなあと感じます。

この4月で、アシュタンガヨガの練習を再開してから、ちょうど1年が過ぎました。
10年前に練習を始めて、ハーフのレッドクラスからマイソールスタイルまで8年ほど日々練習してきました。それを1年以上もお休みしたので、再開した頃は体力もなく身体もコチコチで本当に大変でした。

でも再開してからは、当時3年かかったことを今回は3か月でできたり…その8年の道のりを1年間で早回し再生のように進んできました。ときどき当時の苦労を思い出しながら、改めて体と向き合う1年でした。



アシュタンガヨガの練習の後は、とても穏やかな気持ちになります。90分以上も深い同じ呼吸のリズムで練習するので、それは瞑想の状態にも似ています。同じリズムの呼吸はセロトニンの効果で、科学的にも幸福感も増すと言われていますしね。

なのでその快感を求めて、瞑想にハマる人がいるのもうなずけます。
思考が穏やかになると、何か日常の問題から解放されたり、ちょっとハイになって心地よさが増したり...やや特別な体験かもしれません。



私たちは毎日いろんなことを考え、周りの状況に対応しながら暮らしてます。
たとえ一時的に思考を止めて幸福感が増しても、思考をずっと止めて暮らすことはできません。

「ヨガの哲学」も一時的に思考を穏やかにしてくれます。考えを安定させるために哲学という考えが役に立つときもあるでしょう。

でも、やはりヨガという生き方は、何か特別な体験を求めたり、思考を安定させることではないのです。



人はいったいヨガの練習や瞑想を通して何を求めているんでしょうね。
もちろん人それぞれの楽しみや段階があるんです。ダイエットから心の成熟などいろいろ。

でも練習や瞑想は、まず「思考に飲み込まれていない自分」に気づかせてくれますね。

毎日いろんなことが起こって、いろんな思考や感情が生まれますが、それを変わらずに感じている「自分」という視点が確かにあります。

この「変化しない自分」があるから、過去の様々な経験から人生を学び、過去の試練を自分の成長の経験だったと客観的にとらえることができます。

そこからさらに「私と何か」「世界とは何か」を知っていくのは、シャブダ=言葉で学ぶ必要があります。それは哲学ではなくヴェーダンタという知識を学ぶこと。それが本来のヨガのゴールともいえます。

そこまでヨガを探究するのは、ほんの一握りの人ですが、アーサナや瞑想でも「自分とは何か」その一端を”かすかに”感じることができるとより練習が楽しくなると思います。



私のEssential Practiceでも、深い練習で体の癖を手放すことから、このかすかな「自分とは何か」の探究を楽しめたら良いなと思います。

4月からは、体の中心を引き上げる力「バンダ」に意識を向けていきますね。
毎月2回水曜10:30~。4/11、4/25、5/9、5/23・・・詳しくはこちらです。

ヴェーダンタの勉強会は、月2回木曜14:00~になります。
こちらは新規さんの参加は難しいのですが、今後、新たに講座を開いてグループができたら、また新しいメンバーさんで学びを深めていけると嬉しいです。

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