So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

Essential Practicenのご案内~SATTVAで開催中

エッセンシャル=本質的なヨガの練習をするクラスです。詳しい日程などはこちらをご覧ください。
前の10件 | -

与えられたことを。 [日々のいろいろ]

新しい年の半月が過ぎました。

年が明けてから東京へ行き、パパさん宅の大掃除をしながら東京でちょこっと休日を過ごしました。

札幌に戻りヨガのお仕事の合間に9日間のタットヴァボーダという聖典を学ぶクラスをzoomで受講させていただきました…あっという間に1月の半分が過ぎてました。早いですね。

今年もみなさまどうぞよろしくお願いいたします。



新しい年を迎えると「今年はこんな年に…こんな自分に…」と思いを巡らす方も多いかもしれません。

若いころの願望にはさまざまな幻想が含まれているものです。「立派な人になろう」「何かを達成させよう」「重要な人物になろう」「認めれれる人物になろう」

ちょっと年を重ねた私たちはヨガの生き方の中で感じるものがあります。「なんだか自分は運ばれているなあ」「自分にはこれが必要なんだなあ」

理想の自分を追い求める生き方から、ヨガの学びの中で価値構造が整ってきて(もちろんある種の知識と理解が必要なんですが)だんだん必要ない願望を手放せるようになります。

「好き・嫌い」「損・徳」を基準に選ぶことから、「与えられたこと」「必要なこと」に自然と向き合うことができるようになりますね。

年齢を重ねるのも悪くないものです(笑)



告白しますと…

私は毎朝6~7時までzoomでチェータナナンダ先生の講義を聞いていますが、2か月ほど先生がインドに行かれるので、しばらく朝寝坊ができる~と渡印を心待ちにしておりました…(笑)

そうしましたら、講義がお休みの間グループスタディを開催するので、少し担当しませんかと先生からご連絡をいただきました。

担当は2日間なのですが、やはりそのためには準備もしなければならないし…と思うと実は最初、ちょっと気が重かったのです。

でも最近つくづく思います。声をかけてもらったという事は「自分に必要な経験なんだろうなあ」と。

1週間ほどモヤモヤしたんですが(笑)お引き受けさせていただきました。モヤモヤしたのは自信がないからです。でも上手くいかなくても、その失敗の経験ですら必要なことなんだろうなあと、今は心から思えるのです。



若い頃のように幻想を含んだ願望を持つと「自分をコントロールしながら生きる」とう辛さを伴います。
歳を重ねて、これを手放せるとき、私は私にリラックスします。


全体の中で生かされていることへの感謝があります。

できればどんな時もどんな瞬間も、そうありたい!と願っています。


ヴェーダンタを学んできたこの6年間、サボったりお休みしたりすると、いつも戻されるんです。そして毎回「戻されて良かったなあ」と心から思っています。



※グループスタディはダクシナ制でどなたでも参加できます。ご興味あればパラヴィデャーケンドラムHP~こちらからどうそ
以前札幌に来てくれた谷戸くんもチャンティングのクラスをやりますよ。

ガネーシャ.JPG

〇Essential Yoga 水曜10:30~@SATTVA
 2019/ 1月16.30 2月13.27 3月13.27… 

〇Vedanta class 日曜15:30~@SATTVA 
 2019/ 1月27日 2月17日 3月17日…







nice!(0)  コメント(0) 

本質的な視点を [yogaクラス]

単に「立つ」姿勢のことを、ヨガのポーズでは「タダアーサナ」といいます。

見かけはまさに立っているだけ…でも、それは実に奥深いものです。

月に2回やっている私のヨガクラス「Essenntial Practice」はその名の通り、エッセンシャル=本質的な練習をするクラスです。

クラスの前半はじっくりと体と向き合い、私の言葉のガイドを頼りに、ただ「立つ」ことをします。

もちろん「普遍的な体の使い方」みたいなものが存在するわけですが、まず感じるのは、自分のクセを手放していくことの難しさだと思います。

体のクセは心のクセでもあり、何十年も繰り返してきた自分の歴史が体に現れています。

「心が硬い人は体も硬い」とか「心が開いていないと胸が開かない(後屈が苦手)」などなど、過去にこんな言葉を聞いてきました。

体が硬い私には「ぐさっ」と刺さる言葉です。

ヨガをアーサナ(ポーズ)だけでとらえていると、そんな言葉の表現になってしまうのは残念です。体の硬い人がみんながみんな、そういうわけでもないのですから。

紀元前から途絶えることなく続くヨガの智恵って、そんなちっぽけな知識や視点ではないはずです。
私たちはヨガを通して何に気づいていけばよいのでしょうか。





私たちは生まれた環境、与えられた環境というものが確かにあります。

自分の好きな道を生きてきた!といっても、生まれた環境は与えられたもの。

試練のような辛さや忙しさ、心の苦しさを避けられない時もあります。

体の硬さは人生で頑張った「勲章」みたいなもの。その過去から真実をみいだせば、自分自身の深い部分と繋がることができます。

毎日いろんなことがありました。自分にとって好ましいこと、好ましくないこと。上手くこなせる事もあれば、どうしても避けられない事もありました。

個人の視点でとらえると「辛いこと」でも、それってただ単に「起こっていた」のです。

すごく雑な言い方なのですが、この世界ってそうゆうものです。晴れの日があれば嵐の日もある。

「あるがまま」なんです。「この世界は全てあるがままに起こっている」ということ。つまりそれは「自然」「全体」みたいなもの。

その客観的な視点をもつことは、とてもとても大事だと思います。

つまり「あるがまま」を「あるがまま」に見るという視点。

自分で自分を苦しめなくて済みます。




でも、私たちは目の前の仕事や役割に追われて、考えや感情に飲み込まれていることが多いのです。

そんな時は、無意識に体に力が入っています。呼吸が浅くなり、肩や首のあたりで呼吸をしています。

ちょっとだけ、意識的に客観的な視点を持ってみる。

まるで宇宙から地球を眺めるように…自分を含めた「人間」の営みを想ったり、人生の流れを想ったり…その視点に立つと、目の前の人が許せたり、目の前の問題が少し小さく思えたりします。

そしてリラックスして深い呼吸をしましょう。

呼吸だけじゃだめなんです。呼吸プラス客観的な視点。

そうやって、自分の視点を「個人」から「大きなもの」にゆだねてみる。

これは瞑想の始まりです。

ヨガの瞑想はリラックスして考えを止めることではないのです。

瞑想は自分を超えた「大きなもの」を意識的に想う、気づいていくこと。

自然やご先祖さまに感謝する気持ちだったり、毎日の日常に感謝する思いだったり、家族や周りの人を想う気持ちだったり、何か計り知れない力に祈る想いだったり…その視点と繋がること。

アーサナヨガだって、動く瞑想のように、日常の思考から離れて、呼吸を通して体を通して、その視点に気づく道具になります。




体が硬くなったのも仕方がないのです。でも客観的な視点から生きることの本質に気づいていくと、心も体も少しずつ楽になります。

私たちはいわゆる世間の「勝ち」や「成功」を得るために生きているのではないのです。

たとえ上手くいかないことがあっても、私自身の価値が下がるわけではない。

あるがままのこの世界に私たちがどう存在しているのか、その本質に気づいていくことが「生きる」目的なんです。

「ヨガという生き方」はそれを教えています。

そこに気づきながら、この世界をもっと楽しめばいい。

「自分が在る」って嬉しいじゃない。「在る」から全てこの世界が始まっているのです。

「家族が在る」「仲間が在る」「世界がある」「成功がある」「失敗がある」「感動がある」「怒りがある」

客観的な視点でながめると、今まで気づかなかったことに、ゆっくり気がついたりします。「この世界が美しいな~」「人が愛おしいな~」って、もっともっと感じる時が来るかもしれません。

自分を縛っていた考えのクセ、体のクセからもっと開放されるかもしれません。
いつものヨガのポーズなのに、そのさらなる奥深さに気づくかもしれません。


「ああ、体ってこんな風に動くんだ。こんな風に広がるんだ。自分ってこんなに心地いいんだ」って気づくかもしれません。

ヨガを通して自分を超えた「大きなもの」と繋がること。そして客観的に「あるがまま」の自分を知ること、感じること。

「タダアーサナ」という単に立つポーズをしながら、自分がここに「在る」ことを感じていただけたら嬉しいです。

もちろんEssential Practiceでは、ほかのアーサナもたくさんやりますよ~
ヨガを深めたい方はどうぞご参加ください~(^^♪

☆Essential Practice 水曜10:30~12:00 @SATTVAスタジオ
2018年 12/5、12/19、 2019年 1/16、1/30、2/13、2/27、3/13、3/1


IMG_4077 (002).JPG
↑意識的に立つ姿勢は実に美しいものです。



nice!(0)  コメント(0) 

2018年「ヨガとは何か?」講座のお知らせ [お知らせ]

「ヨガとは何か?~ヴェーダンタのエッセンスを学ぶ講座」を開催します。

私たちが日ごろ親しんでいるヨガとは、いったい何なのでしょうか?
シャバーサナのあと、私が満たされている感覚。それは私に何が起こっているのでしょうか?
毎日の出来事や辛かった経験が、時間の経過とともに「これは何か必要があって起こっている…」と思える感覚は何なのでしょうか?

ヨガを通して私たちが漠然と感じることを、ヴェーダの知識体は言葉というシャブダ(道具)を使って伝えます。単に考えに良い考えを上乗せする「哲学」ではなく、ヨガの哲学が存在するその源の世界観を学びます。それは個人の経験や考えではなく、紀元前から教えが続くヴェーダの結論「ヴェーダンタ」を学ぶということです。

まずは3回の講座でじっくりと耳を傾けてください。ヴェーダという知識体はヨガの源です。
その結論ヴェーダンンタを学ぶことは「私とは何か」を知る手がかりになります。
知識によって「私が私にリラックスできる」そんな座学の講座です。

▷日時 10/14. 10/28. 11/11. 日曜15:00~18:00 全3回
▷場所 SATTVAスタジオ
▷お申込み hiromimurakoshi☆☆☆gmail.com (☆☆☆を@に変えてください)

この講座は今年で4年目になります。
ヨガのインストラクターやそれ以外の方でもご参加いただけます。
10月3日現在10名ほどのお申込みがあります。あと2・3人くらい大丈夫です。

NUAH4110.JPG



nice!(0)  コメント(0) 

万引き家族 [日々のいろいろ]

先日、映画「万引き家族」を見てきました。

内容はもちろん、貧困の現場や俳優さんの演技力にも(!!)いろんな意味で圧倒される2時間でした。

私が気になったのは、大人と一緒に得意げに万引きをしている少年が、ある時から少し犯罪に気づくというあたりでした。



人間は誰でも「悪いことをしたくない」という感覚をもっています。人を傷つけるのは嫌だし、うそをつくのも嫌だし、同じように自分がされても嫌なのです。

ヨーガの言葉を使うと「サーマニアダルマ」といいます。人種や国籍に限らず、誰もが持つ普遍的な良い悪いの感覚とも言えます。

だれでも子供のころは、小さな嘘をつくだけでも、心の中がモヤモヤしたはずです。しっかりとサーマニアダルマを感じていたのでしょうね。でも大人になるとそれはだんだんマヒして…、例えば赤信号でも道を渡ってしまったりしちゃいます(笑)

実際に私も、我が子に「ママ、信号守らないとだめだよ~」と言われ、ドキっとしたこともありました。「ルールを守る」ことは誰でも気持ちがよいことを子供はちゃんと知っています。

大人は無意識に、この普遍的な良い悪いの感覚よりも、自分の都合を優先して物事を判断しているのでしょうね。



映画の中では、大人は自信たっぷりに万引きをしていますが、実際の心の中はどうなんでしょうね。悪いことをしているモヤモヤした気持ちを無視しているのでしょうか。それとも信号無視と同じで感覚がマヒしているのでしょうか。

映画では、万引きを通して心のモヤモヤに気づいた少年を見ていると、私までドキドキしてきました。
少年はその後、どんな行動をとるのでしょうか・・・ストーリーはこのあたりが軸になっています。気になる方はご覧になってくださいね~。



私たちはいつでも安心を求めています。なのに自分の心のモヤモヤを無視して、自分に嘘をついていたら、自分を好きになれません。自分を受け入れることができなくなります。私たちは100%自分自身に安心したいのです。

でも貧困の環境でそれは簡単なことではないのかもしれません。
安心を得るために寄り添い、支えあい、時には悪いこともして、お互いの痛みを共感しあって生きている姿に、人間という存在がなんだかいとおしく思える、私にとってそんな映画でした。


〇私の開催するクラスの日程はこちらです~よろしくお願いします。

manbikikazoku.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

願望は手放さないで! [ヨーガについての知識]

何かを手に入れたり、自分の人生で自己実現したり、そんな願望をもったらいけないの?と勘違いをする人がいます。

ヨガの哲学なんかに触れると、そんな風に聞こえるのかもしれません。とんでもない!人間は願望がないと生きれらないのです。

想像してみてください。もし朝起きてなんの願望も予定もなかったら…私ならお腹がすくまでずーっとお布団でゴロゴロしてます(笑)

今日いちにち良い仕事をしよう、楽しい日にしよう、そんな願望があるから、朝起きて歯を磨き、身支度を整えるのです。お金がないと生きていけないから、仕事に行って稼ぐのです。

この世界から人々の願望がなくなったら…社会が回りません。経済活動もストップです。

大事なことは、仕事やお金や名声、資格や技術、そして健康を手に入れようと、そんな願望目指して頑張っても、それらが自分を幸せにしてくれるものではないと気づくことです。

いやもちろん!それらがあっても幸せになれるので、手放す必要はないのですよ(笑)

ただ、願望をかなえることだけが、自分自身を幸せにしてくれるわけではないのです。

それが何かが「あって」幸せというのなら、逆の見方をすると「自分は幸せな人ではない」という事ですもの。幸せじゃない私に何かを足して幸せというのでは、幸せは決してかないません。だってその何かは、いつかあなたから離れていきますから。

だから、その願望が本当に必要なことなのか、見極めることも大切なことですね。

例えばいったん名声を手に入れても、やがて時代とともにブームが去ることがあるのです。「名声があって幸せ」なのであれば、また名声を求めて、あれやこれやと駆け引きの生き方が始まるのです。名声がなくても幸せなのであれば、それを失っても幸せのままです。

お金も、仕事も、健康も、すべてがそうです。自分の外側はいつも変化します。それを手に入れることに幸せの意味をおくと、様々な願望を求めて一生頑張らないといけないのです。


この世界を二つに分けると、まず「自分」があります。そして「自分以外のもの」の二つ。
自分以外のもの、名声やお金や健康で幸せが得られないと気づいたなら、探求するのはもう一つのほう「自分」です。

だからと言って、「自分を変えよう」とか「こう考えよう」とか哲学や自己啓発の学びでは何の解決にもなりません。これだって同じ、「自分を変えて」幸せなのであれば、そもそも自分は幸せじゃないという事になります。

幸せじゃない自分に、あんな生き方、こんな考え、自分に与えられた生きがいとは役割とは…、瞑想だ、アーサナヨガだ、呼吸法だ…、アーユルヴェーダだ…、自分を変えたり、考えを変えたりしようという願望なら、結局は同じなのです。
もちろんアーサナヨガも瞑想もその他も、とても良い体験ですよ。
でも、たとえ瞑想やシャバーサナでどんなにシャンティな自分を得て幸せだと思っても、それは移り変わる体験なのです。哲学の講座でより良い考えを重ねても、その時は「おお~!」と思えるのですが、それも一つの体験なのです。その場の雰囲気に共感してシャンティな自分を体験しているだけなのです。 なので、もしその後に家に帰って、家に泥棒が入っていたら?通帳残高が0円になっていたら?すぐにシャンティな体験は吹っ飛ぶはずです。 まず人間にとって、一番いい願望は、「自分は何かによって幸せになるわけじゃない」ということに気づいてゆくことだと思います。 私はアーサナヨガ(アシュタンガヨガ)をもう8年以上しています。これももちろん願望があるからこそ、日々汗だくの朝練を楽しめるのです。 アシュタンガを始めた最初のころの願望は「それがあって幸せ」という願望だったのは確かです。できないことをできるようになりたい!そう思って練習していました。でもその願望が私のエゴとなって、体に無理をしケガをしちゃったり・・・。そこから学ぶのです。「自分にとって大切なものは何か」すると願望が変わってくるのです。 今のアシュタンガの練習は、自分の本質に触れる素晴らしい体験の一つです。私の中のエゴ、無意識に考える「あーしたい、こーしたい」という考えのクセ、自分を人と比較する考えのクセ。そんなマインドの働きがあると、練習にブレや体の力みが生じてうまくいきません。練習を通して、それらを手放した状態を保つことこそが今のアシュタンガヨガに対するの願望です。その心の状態はあるがままに感謝して生きる視点を私に与えてくれるからです。
もちろん体を扱うヨガを指導する仕事ですから、自分の体を探求することは仕事の上でも大切なことです。

幸せは、何かを手に入れることでも、自分を変えることでもありません。 まず、あるがままの自分を受け入れられない、自分の見方や考えのクセを手放すこと。 つまり「あなたには何の問題もないのです。あなたはすでに完璧です。一番の問題はあなたがそのことを知らないという事です」ということを知ること。それを解き明かすのがヴェーダンタの学びです。 「自分を変えること」から「変わらなくてもいい自分」を知るとき、人生で何が大切か、願望の種類が変わってきます。 そこに気づいたとき本当の意味で「ヨーガという生き方・学び」が始まるのです。 それは現在の生活スタイルも生き方も変えずに、お金や名声もいっさい手放さずに、 人生で「私が私にくつろげる」のです♡ IMG_3489.JPG

nice!(1)  コメント(0) 

人生いろいろ。ヨガの先生もいろいろ。 [ヨーガについての知識]

最近ちょこっと時間があるとき、人の集まりなどに参加しています。

いろんな人やヨガの先生に出会う時間は楽しいものです。

私も含め、みんな一生懸命生きていています。

世の中いろんな職業がありますが、ヨガの先生というお仕事は、生きることとリンクする素晴らしい職業です。

でもその意味がクリアに見えてこないと、ほかの仕事と何ら変わりはありません。

より多くのレッスンを手に入れて、より人気の先生になって、日々頑張って、忙しく充実した自分でないと満足できなくなります。

仕事でもなんでも、それが「成功して幸せ」「充実して幸せ」なのであれば、仕事は苦しみを生む道具になります。

だって、世界の全員が、いわゆる「成功」を手にすることは不可能ですから。成功があるってことは他のだれかが不成功を担ってくれているわけです。

うまくいく人行かない人。それ以前に、恵まれた環境の人、貧しい環境の人。生まれながら病気の人、早く肉体を手放す人(死ぬ人)・・・そもそも人は実に様々な状況なのです。

その「あるがまま」こそがこの世界です。

そして、私たちは「個人」を装っているけれど、「全体」なのです!!

ヨガをする人なら、それが少し見えているはずです。全体の中に生かされている自分に気づいているはずです。それはとても大切なことだと思います。

この客観的視点があるからこそ、自分の人生が計り知れない力に運ばれていると思えたり、人生の悪い状況ですら、時間がたてばいい経験だったと消化できるのです。

でもやっぱり人は、うまくいかないことにイラっとしたり、ひどく落ち込んだりするのです。なぜでしょう。それは「個人」という力強い感覚が、「全体」という真実を見えなくするからです。

その真実を見えなくするものが「無知」というものです。個人とは無知なのです。

たとえその無知を取り除いても、個人のセンスは残りますから、個人の役割をこなしながら「全体」という真実の気づきをもってこの世界を安心して楽しめます。私たちはそこに近づくためにこの世界に存在しているようです。

ヨガのお仕事は、ヨガという生き方を通して、自らもそれに気づいていくのだと思います。

仕事がうまくいって幸せなのではなく、自分自身の本質に目を向けると、仕事のストレスも減って楽になりますね。幸せは自分の外側の状況で叶えるものではないのです。

そして、生徒さんにシャバーサナで「あるがままの自分に満足し安心できている」ことに気づかせてあげるのも、アーサナヨガの大切な要素の一つです。

それは無意識に私を縛りつける「個人」という感覚がちょっと薄れる、それはそれは素敵は体験なのです。無意識ながらに「全体」と繋がって安心しているからです。

だれでも自分自身の安心を求めています。「全体」に気づくと「安心」がふえます。哲学を教えるのではなく、真実を一つの体験(安心)として伝えるのです。

だからまず、ヨガを伝える自分がそこに気づかないとね。自分のために繰り返す日々の練習や瞑想もその道具になります。それはとてもとても大切な時間だと思います。

そしてついに「じゃあ自分っていったい何なんだ?」というところに行き着いたら、いよいよ「ヴェーダンタ」(ヴェーダの知識の結論)に進めるわけです。学びはまだまだ続きます(笑)

IMG_4186.JPG
nice!(0)  コメント(0) 

ヨガの探究 [思うこと]

4月です。娘の春休みが終わり、やっと新年度がきたなあと感じます。

この4月で、アシュタンガヨガの練習を再開してから、ちょうど1年が過ぎました。
10年前に練習を始めて、ハーフのレッドクラスからマイソールスタイルまで8年ほど日々練習してきました。それを1年以上もお休みしたので、再開した頃は体力もなく身体もコチコチで本当に大変でした。

でも再開してからは、当時3年かかったことを今回は3か月でできたり…その8年の道のりを1年間で早回し再生のように進んできました。ときどき当時の苦労を思い出しながら、改めて体と向き合う1年でした。



アシュタンガヨガの練習の後は、とても穏やかな気持ちになります。90分以上も深い同じ呼吸のリズムで練習するので、それは瞑想の状態にも似ています。同じリズムの呼吸はセロトニンの効果で、科学的にも幸福感も増すと言われていますしね。

なのでその快感を求めて、瞑想にハマる人がいるのもうなずけます。
思考が穏やかになると、何か日常の問題から解放されたり、ちょっとハイになって心地よさが増したり...やや特別な体験かもしれません。



私たちは毎日いろんなことを考え、周りの状況に対応しながら暮らしてます。
たとえ一時的に思考を止めて幸福感が増しても、思考をずっと止めて暮らすことはできません。

「ヨガの哲学」も一時的に思考を穏やかにしてくれます。考えを安定させるために哲学という考えが役に立つときもあるでしょう。

でも、やはりヨガという生き方は、何か特別な体験を求めたり、思考を安定させることではないのです。



人はいったいヨガの練習や瞑想を通して何を求めているんでしょうね。
もちろん人それぞれの楽しみや段階があるんです。ダイエットから心の成熟などいろいろ。

でも練習や瞑想は、まず「思考に飲み込まれていない自分」に気づかせてくれますね。

毎日いろんなことが起こって、いろんな思考や感情が生まれますが、それを変わらずに感じている「自分」という視点が確かにあります。

この「変化しない自分」があるから、過去の様々な経験から人生を学び、過去の試練を自分の成長の経験だったと客観的にとらえることができます。

そこからさらに「私と何か」「世界とは何か」を知っていくのは、シャブダ=言葉で学ぶ必要があります。それは哲学ではなくヴェーダンタという知識を学ぶこと。それが本来のヨガのゴールともいえます。

そこまでヨガを探究するのは、ほんの一握りの人ですが、アーサナや瞑想でも「自分とは何か」その一端を”かすかに”感じることができるとより練習が楽しくなると思います。



私のEssential Practiceでも、深い練習で体の癖を手放すことから、このかすかな「自分とは何か」の探究を楽しめたら良いなと思います。

4月からは、体の中心を引き上げる力「バンダ」に意識を向けていきますね。
毎月2回水曜10:30~。4/11、4/25、5/9、5/23・・・詳しくはこちらです。

ヴェーダンタの勉強会は、月2回木曜14:00~になります。
こちらは新規さんの参加は難しいのですが、今後、新たに講座を開いてグループができたら、また新しいメンバーさんで学びを深めていけると嬉しいです。

ep2.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

あるがままの世界 [ヴェーダンタ勉強会]

「フォレストガンプ」を久しぶりに見たことを、先日の勉強会で話しました。
もう20年くらい前の映画で、若いころ見た記憶とは全く違った印象でした。
以前見たとき私は、ガンプが一つのことに突き進む姿に、何かを達成する素晴らしさに感動したのだと思います。当時の私は若かったので、それしか見えなかったのだと思います。

今みると自分の見方が変化していて、「あるがままの世界」つまりヨーガでいう「ダルマ」(世界の秩序)を正しく見ることができるガンプだから、あるがままに生きる姿が素晴らしいのかなと思いました。ガンプの知的な障害がそうさせているのかもしれませんが、それによって考えが制限される部分があるので、ガンプはいわゆる周りの人と駆け引きをするような心がありません。


戦争のシーンが出てきます。死にそうな上官をガンプは命をかけて助けだします。上官は生き残ったにもかかわらず両足を失います。上官は「なぜ俺を助けたのか」とガンプを恨み、人生を恨み、荒れた人生を送ります。でもガンプはそんな上官を「あるがまま」に受け入れます。

数年後に落ち着きを取り戻して生活する上官に会います。自分の体を自分の人生を嘆き、荒れていた上官が、あるがままの現実を受け入れた姿を見てガンプが言うのです「神さまと仲直りしたんだ」と、、、。もう本当に美しいシーンでわたくし号泣でございました(笑)


神という言葉はあまり好きではありませんが、この世界を誰が作ったんかと言えば、神としか言いようがないかもしれません。あるがままの世界と仲直りすることとは、ただ現実を受け入れろというだけでなく、あるがままを正しく知るということ。私たちには通常そこが見えないから生きるのが辛くなります。

私たちは自分の意志でこの世界に存在しているわけではないのです。いつ死ぬのかも知らずに目的も知らずに生きています。人生とは行先も知らずに、気がついたら列車に乗せられていた、というようなものです(笑) いつまで乗るのかどこに行くかもわからないから、とりあえず焦って、買えるだけお弁当を買って、より多くの座席を確保して、不安だらけで乗っているようなものですよね。

生きるとは、よく考えると不思議なことです。でもこの真実に目を向けないわけにはいきません。

真実に一切目をむけずに生きていると、何かを頑張らなきゃ、この人生で何かを手に入れなきゃ「幸せになれないよ」という社会が作り上げた妄想に追われます。どうすればより得られるのか、稼げるのか、「いいね」をたくさんもらえるのか…様々なものに苦しめられます。生きるのが嫌になっちゃうかもしれません。それを達成するために、無意識に周りとの駆け引きをしながら生きていたりします。


この映画を見ていると、ヨガのこんな言葉を思い出しました。
「ダルマに沿って生きる人は、ダルマに守られます」

人生の目的は、何かを外側のモノを得るためだけなのではなく、「何か外側のモノを得るためだけに生きているわけではない!」とまず気づくこと。変わらない自分の存在の真実に気づくこと、あるがままの世界に気がつくこと。ここから先はヴェーダーンタで学ぶこと。

この世界にある様々な「How to」で幸せは叶わない。

真実を知るから、この世界のお金儲けも、さまざまな競争も、成功も失敗も、客観的な視点を持って楽しめます。真実がみえてくると、たとえ貧乏でも不健康でもこの世界を楽しめるのだそう(笑)

フォレストガンプの映画が見せたいのは、努力して継続して何かを手に入れ成功させることではなく、「ありのままの世界」を見せるためなのではないかと思えてきました。劇中に出てくる言葉もいいですね。「人生はチョコレートの箱。開けてみるまでわからない。」
まあ映画は儲けないといけないので、ガンプはどんなことでも結局は成功して手に入れるお話なんですよね。でも人間のほとんどはそちらに興味があるのです。

ヴェーダンタを勉強していると何か真実がゆっくりゆっくり見えてきます。
宗教みたいで「神」という言葉は好きじゃないけど、世界はまさに神としか言いようがないミラクルです。そして真実が見えてくると感謝の気持ちがあふれてきますね。
ヨーガの学びは生き方を学ぶこと。How toや考えを学ぶわけではない。
勉強会では「いーしゅわらやなまは」40ページあたりをゆっくり進んでます。

NEC_1230.JPG
nice!(1)  コメント(0) 

新しい年を迎えて。 [思うこと]

あけましておめでとうございます。
今年は青空がまぶしい東京で新年を迎えました。
私は戌年なので、干支の巡りも4週目に入りました。
年の初めですが、この歳になるともう若い頃のような夢を持たなくなっています。
ただ当たり前に、自分と周りとの関わりや、自分が生かされていることへの感謝、その思いをいつもいつも忘れずにいられますようにと願う…、そうちょいちょい忘れてしまうことがあるからです。
それを「思えている時」と「忘れている時」では、世界が全く違ってみえます。
「思えている時」は、人の優しさや強さ、その人が存在していること自体に感動があります。自然はあるがままで美しすぎるし、山や森がずっと存在していることに感動があるし、四季がめぐり時が流れ世界は全て関わりあって存在している。
そして何より自分がリラックスして自分が自分でいられる時、そう在ることは本当に素晴らしいのです。
でもそれを「忘れている時」もかなりあって(笑)まずは忙しすぎ疲れすぎのとき。内側でちょっとイラッとしたり。目の前のことを淡々とこなしなが、「自分」という感覚に強く囚われる。この世界の全てが見事に関わりあって存在している事実なんて、キレイさっぱり忘れている時もある。
そうこの2つの狭間を、日々行ったり来たりしながら今年も過ごしていくのだろうなぁと思います。
人は多少ブレても、必ず元に戻る力があります。誰でもより良い豊かな自分でいようという強い思いは、いつも必ず心の深いところに存在している。
その大切なものを汲み出すために毎日がある。仕事や子育てアーサナの練習がある。日々の出来事が、自分のブレに気づき、揺るぎない自分の深みに意識を繋いでくれます。
その事に気づける人間ってすごいなぁ~とつくづく思います。だからいつも、そこと繋がって過ごせますように…。
今年もやりたい事は同じ。
日々のヴェーダンタの勉強。
アシュタンガヨガの練習。
お世話になっているスタジオでのレギュラークラス。
Essential Practiceは1/10(水)から
ヴェーダンタ勉強会は 1/18(木)から
去年から始めた英会話もコツコツと楽しみます♡
今年もどうぞよろしくお願いします٩(ˊᗜˋ*)و
FE5B489F-0532-4E63-97D6-84964DC96E84.jpeg
nice!(0)  コメント(0) 

心の癖を引き受ける [yogaクラス]

Essenntial Practice。今年は終了となり来年1月10日(水)から月2回の開催となります。

ご縁が繋がって、いろんな方との出会いがあり、ゆらりゆらりと続けてきました。

ここに集まる方は、普遍的なヨガを求めていると思います。

世間には○○ヨガといういろんなスタイルがありますが、ここではごくごく普通にアーサナを練習します。

アーサナの形ではなく、全てのアーサナに共通する普遍的なものを探します。

その体の使い方が、日常に役に立ってきます。

誰でも自然で疲れない調和のある体を求めています。

アーサナの練習でそれが得られないのは、その正しさを知らないからだと思います。

「できない」のではなく「知らない」だけ。

それは何十年と続いてきた体の癖に縛られているからです。

そこに気づくことは素晴らしいといつも思います。

私自身も13年間ヨガの練習をして体感してきました。

年を取ってくると、疲れが取れにくいと感じることはあるけれど(笑) 体はどんどんと楽になっていきます。

しかしこれは、体だけでなく心の癖も含まれているのです。

結局のところ、「私」というものは心の癖の影響がとても大きいのです。

ヨガの練習は、自分の心の癖もまるごと引き受けることだと思います。

それはちょっと目をそむけたくなることもあるけれど、、、自分は自分が引き受けるしかない!

そうやって縛られた考えや過去から、ゆっくりと解放されるのだと思います。


このクラスはインストラクターをしている方から、普通の主婦の方まで

ヨガ歴の長い方もそうじゃない方もみんな一緒に練習しています。

クラスの始めはヴェーダンタを含む座学を15分くらいお伝えしています。

来年もまたゆらりゆらりと続きますように・・・

今年もありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします~ヒロミ

~ご案内と日程はこちらです~
657FBC8C-C483-4D6A-AE21-A6814422D8A9.jpeg








 
nice!(1)  コメント(0) 
前の10件 | -